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斎藤勇 (イギリス文学者) : ミニ英和和英辞書
斎藤勇 (イギリス文学者)[さいとう たけし]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [とき]
 【名詞】 1. meals exchanged by parishioners and priests 
: [ふじ]
 【名詞】 1. wisteria 
: [ゆう]
 【名詞】 1. bravery 2. courage 3. heroism 
: [ぶん]
 【名詞】 1. sentence 
文学 : [ぶんがく]
 【名詞】 1. literature 
文学者 : [ぶんがくしゃ]
 【名詞】 1. literary person 
: [がく]
 【名詞】 1. learning 2. scholarship 3. erudition 4. knowledge 
学者 : [がくしゃ]
 【名詞】 1. scholar 
: [もの]
 【名詞】 1. person 

斎藤勇 (イギリス文学者) : ウィキペディア日本語版
斎藤勇 (イギリス文学者)[さいとう たけし]

斎藤 勇(さいとう たけし、1887年2月3日 - 1982年7月4日)は、日本の英文学者文学博士文化功労者日本学士院会員。日本英文学会第3代会長(1938-41年)。東京女子大学学長(1948-54年)。東京帝国大学名誉教授。国際基督教大学名誉教授。
== 経歴・人物 ==
福島県伊達郡富野村(現伊達市梁川町)に農家の長男として生まれる〔以下、経歴は主として『齋藤勇著作集』別巻所収の「齋藤勇年譜」および『英語青年』第128巻8号(1982年11月号)「齋藤勇氏追悼」の年譜による。〕。旧制福島中学校(現福島県立福島高等学校)を経て、1905年、旧制第二高等学校(現仙台市)に入学。1908年、第二高等学校卒業後、東京帝国大学文科大学(英吉利文学専修)に入学。
1911年、東京帝国大学卒業、恩賜の銀時計を受ける。同年、東京帝国大学大学院入学、1913年から1923年まで東京帝国大学文科大学の講師嘱託。1917年、東京女子高等師範学校(現お茶の水女子大学の構成母体)教授。 1923年から東京帝国大学文学部助教授に転任し、同年4月から1925年6月まで英文学研究のため在外研究員として欧米へ出張。ロンドン、オックスフォードを中心に滞在して博士論文を執筆する傍ら、フランス、イタリア等、欧州各国及びアメリカを歴訪した。この留学中には、ラルフ・ホジソン、エドマンド・ブランデン、ジークフリード・サスーン等の詩人、学者との知遇を得て、その後生涯にわたり親交を深めている〔『著作集』別巻「英国の学者および詩人」各所〕。また、精力的、計画的に、演劇、音楽、美術鑑賞もしている〔特に美術鑑賞については、『著作集』別巻所収の「留学中の美術鑑賞」 459-461に詳述されている。〕。
1927年、論文''Keats’ View of Poetry''により文学博士の学位を得る〔この論文は1929年に、当時芸術的な印刷と装丁で著名だったロンドンの:en:Cobden-Sanderson社から、エドマンド・ブランデンの'English Literature in Japan'と題した序文付きで出版され、英米の定期刊行物の書評で高く評価された。『著作集』第五巻に収録。「解説」参照〕。1931年、東京帝国大学教授に昇任。1941年には正四位に叙せられ、1943年に勲二等瑞宝章を受章。1947年に東京帝国大学を定年退官し、名誉教授となり、1948年から1954年まで東京女子大学学長を努める。この間、1949年市河三喜福原麟太郎大和資雄中野好夫豊田実たちと共に財団法人日本英文学会を設立〔『日本英文学会五十年小史』「沿革・年譜」〕。1950年から始まったチャタレイ裁判では検察側証人として出廷〔ただし『チャタレイ夫人の恋人』が文学的に優れているとは思えないと証言したのみで、被告伊藤整は著書『裁判』で、その態度に好感を抱いている。〕。
1953年国際基督教大学の開学に参加し、1954年から1964年まで国際基督教大学教授。1961年、日本学士院会員となり、1975年文化功労者に選ばれる。1979年イギリスの文化と文学を日本へ紹介した功績が評価されて、 エリザベス女王よりイギリス名誉騎士勲章(Honorary Knight Commander of the Order of the British Empire)を授けられる。95歳という高齢になってもなお研究・著作の意欲は旺盛であったが、1982年7月、東京都新宿区の自宅書斎にて、当時27歳の孫に襲撃され、不慮の死を遂げた。同年、正三位に叙せられる。長男はアメリカ文学者斎藤光、次男は政治学者斎藤真
日本における英語英米文学研究の生みの親であると同時に、牧師植村正久に師事した敬虔なクリスチャンとしても知られ、日本のキリスト教界でも重鎮として信望を集めた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「斎藤勇 (イギリス文学者)」の詳細全文を読む




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